環境
1. 森の里の誕生・あゆみ1
① 森の里地名の由来
「森の里」の地名は、開発される前の字名が小野、上古沢、下古沢という地区で自然豊かな森の中に造成される人里のイメージで名付けられたものです。また、「森の里」という地名は直接的にはかかわっていません。この地は古くは「森の庄」と呼ばれていた場所であったことも「森」という一字をいれた地名がつけられたと思われます。
「森の里若宮」は、下の地図「森の里地区新住居表示と旧字名」のように、かつては小野字「若宮」呼ばれる小字があり、そこには「小野若宮遺跡」があったところで、その「若宮」という小字名を入れた地名となりました。
「森の里青山」は、残念ながら今は撤退してしまった青山学院大学厚木キャンパスが開校したことからの「青山」に由来するものと考えられる。また、厚木を通る国道246号線は、江戸時代から厚木街道、又は大山街道とも言われた街道に沿って整備されたもので、今は三宅坂交差点から渋谷までは「青山通り」と呼ばれていることも多少の縁があったと考えられます。
(厚木市制60周年・森の里30周年記念誌「ふくろうのさんぽ道」より)
② 森の里誕生する前のようす
「森の里ニュータウン」の開発計画は、昭和 45 年ごろに持ち上がり、事業 主体が代わりながらも当時の宅地開発公団が昭和 54 年に「厚木市都市計画 事業森の里特定土地区画整理事業」として開発に着手しました。
開発する前は、典型的な里山の景観を有し、豊かな森と湧き水を利用した水田が数か所見られました。
里山には、ノウサギやタヌキ、イノシシなどの獣類、ノバトやフクロウなどの鳥類、マムシやアオダイショウなどの爬虫類、そして、水田にはタニシやカエル、清水が湧き出るところにはサワガニなど、数多くの生き物が生息していました。
この自然豊かな里山は、人々の生活に密着し、そこが燃料や食糧の生産の場であるとともに、子どもたちにとっては大切な遊び場であり学習の場でした。
③ 森の里開発基本的なコンセプト
「緑なす大地に4つの機能が集まり、明日へはばたく複合型都市」
3つの土地利用形態から4つの都市機能が整備された計画都市で、当時「西の筑波」か「東の森の里」かと言われたほどの研究学園都市として評判になりました。
3つの土地利用形態とは、地区内を南北に走っている幹線道路「船子上古沢線」の東側に広がる誘致施設ゾーン。民間企業の研究施設や大学、高校などが建ち並び、森の里を大きく特徴づけています。
一方、西側は住宅地ゾーンとしてさまざまなタイプの住宅がならぶとともに、森の里のセンター地区としてスーパーマーケットや銀行、病院など生活を支える諸施設が並んでいます。
さらにこれらを囲むように従来の山、樹林をそのまま残した緑地ゾーンが広大に広がりをみせ、森の里の伸びやかで潤いにみちた環境を創出させています。
これらの3つのゾーンには、都市機能としての、リビング、パーク、テクノロジー、アカデミックという4つの機能が配置され、複合都市としての森の里が誕生しました。
(出展:「厚木ニューシティ森の里『複合都市の先駆け』住宅都市整備公団刊行)
(出展:「厚木市制60周年・森の里30周年記念誌『ふくろうのさんぽ道』より)
④ 森の里開発経過
豊かな森の中に「森の里」が誕生
「森の里ニュータウン」の開発計画は、昭和45年頃に持ち上がり、事業主体が代わりながらも、当時の宅地開発公団が昭和54年に「厚木市都市計画事業森の里特定土地区画整理事業」として開発に着手しました。
開発する前の様子は、典型的里山の景観を有し、豊かな森とあちこちの湧き水を利用した僅かな水田が見られました。そこには、たくさんの生き物が生息していました。水田にはタニシやカエルが、清水が湧き出るところにはサワガニが、そして里山には、ノウサギやタヌキ、イノシシなどの獣類、ノバトやフクロウなどの鳥類、毒蛇のマムシまでがいました。
私が子どもの頃のこの里山は、そこが生産の場であると同時に遊び場でもありました。
春には、ゼンマイやフキなどの山菜採り、タニシ捕り。夏には、清水が湧き出る所に「秘密基地」づくり。秋には、木の実を拾ったりキノコを探したり。冬には、燃料の薪や木炭の原料の雑木林の伐採、さらに薪拾い、凍りついた水田でスケートごっこ。等々、楽しい思い出がある場所でした。
この頃の里山は常に人の手が加わり、人々の生活と密着していました。そのバランスが崩れ、鳥獣被害だとかヤマビルだとかの問題が引き起こっています。自然との共生はそう簡単にはいかないのかなと思うこの頃です。
開発前の森の里地区は、ほぼ下の写真の黄色点線内の里山を崩して造成されました。造成前は山筋の間に谷戸田が幾筋もあり、山を削ってはその谷戸田を埋めて団地造成の工事がなされました。
開発区域内の60%は緑で残す、という神奈川県の指導で開発され、七沢森林公園、上古沢緑地、愛名緑地、小町緑地、若宮公園などの豊かな自然が残されました。
また、開発に当たっては、地元と①山を削った土砂は地区外には出さない。(ダンプカーの交通量を最少に)②小野や七沢からの景観を損ねない。(山の稜線は残す)といった約束の上で造成されました。
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