環境
3. 森の里の特長・モザイク画
④いろいろなところに工夫が見られる森の里
森の里は、今まで紹介してきたような「モザイク画」をはじめとして、5丁目には公園入り口の大地に大きな鬼(おに)の面のモザイク画があります。
鬼の顔のサイズは 約180㎝(横)x 約150㎝(縦)です。
また、ふくろうの石像(せきぞう)が23体、公園の案内柱、マンホールの図案、企業等の案内版、道案内標示(ひょうじ)などが各所に点在(てんざい)しています。
森の里のふくろうは1-23の番号順に巡ることができます。(ふくろうの紹介などはこちら)
森の里内に配置されたふくろうの案内板。ふくろうは風見になっていましたが、時が経て今は動きません。
マンホールには方位とランドマークが表示されています。
企業、施設案内板(常時更新されています)
雰囲気ある案内板です
住居表示街区案内図
散策道路に配置されたデザインタイル
散策道路に配置されたデザインタイル
散策道路に配置されたデザインタイル
5丁目・ふじ棚公園入口にあるモニュメント
モニュメント中央
モニュメント右
これらは、団地を造る時に、修景整備(しゅうけいせいび)の一環としてまちの統一的な環境を造り出し、保全に多大な役割を果たし、まちとしての同一性(どういつせい)を保ち、さらには住民のわが街を愛することや街づくりの意識の向上を図る上で大切なものであるということで設置されています。
また、森の里は豊かな自然環境に恵まれ、「はぐくむ四季の街」をまちづくりのコンセプトとし、住民相互の協力によってそれを守り、育てていくことが計画当初から検討されていて、そうした意味をも含め整備されてきています。
(参考:「複合都市の先駆け」森の里特定土地区画整理事業誌)
③星空へいざなう森の里
三和前歩道橋下、駐車場につながる通路の壁面にモザイク画が一つ、レリーフが二つあるのをご存じですか。いずれもガリレオ・ガリレイと天文・宇宙に関するものです。
モザイク画の全体(以下の拡大写真を参照)
天球儀、猟犬座、おおくま座 (a)
こぐま座 (b)、ペルセウス座、おひつじ座
うみへび座、へび座、みなみのうお座
ケンタウルス座、いるか座、六分儀座
(上記モザイク画についての説明)この細長いモザイク画には星空に関するものが描かれています。天球儀は夜空に見える星の配置を球の表面にしるしたものです。六分儀は角度を測る機械で、航海などで星の高さから緯度・経度を求めるのに使われました。また、ここにはいくつかの星座が描かれています。何の星座かよくわからないものもありますが、いろいろと想像してみてください。まん中にあるカーテンのようなものはオーロラでしょうか。
月のレリーフ
ガリレオの望遠鏡
(望遠鏡の写真についての説明)ガリレオ・ガリレイは1608年にオランダで発明された望遠鏡の話を伝え聞き、自分で望遠鏡を作製しました。ガリレオは望遠鏡を星空に向けました。彼の望遠鏡は口径42 mmで、いまのアマチュア用天体望遠鏡よりも小さなものでしたが、彼はこれで天の川、月、太陽、木星、土星などを観察し、人類史に残る数々の発見を成しとげました。
(月のレリーフの写真についての説明)ガリレオ・ガリレイは1609年から望遠鏡を用いた初の天体観測を始めました。1610年に出版された「星界の報告」(岩波文庫)には月や太陽黒点のスケッチ、木星の四大衛星(ガリレオ衛星)の運動が記録されています。このレリーフは彼の月のスケッチを元にデザインされたものと思われます。
②モザイク画が語りかける森の里
三和入口前の歩道橋の壁に埋め込まれたモザイク画 (各文字の説明は下部番号を参照)
このモザイク画は、東西を代表する自然科学者、哲学(てつがく)者であるイタリア人のガリレオ・ガリレイと日本人の三浦(みうら)梅園(ばいえん)が対話する場面を天然大理石のモザイクで表現しているものです。
ここに登場する三浦梅園は、よく知られていませんでしたが江戸時代の独創的(どくそうてき)な思想家(しそうか)で、ガリレオ・ガリレイと肩を並べられる人物と言われています。
一方、ガリレオ・ガリレイはイタリアの自然哲学者、天文学者、数学者で、しばしば「近代科学の父」、また「地動説(ちどうせつ)」を発表するなど天文学分野での貢献(こうけん)を称(たた)えて「天文学の父」とも呼ばれる人物といわれています。
三浦梅園の画像の左側には「反観合一(はんかんごういつ)」、ガリレオの側にはイタリア語でE pur si muove「それでも地球は動く」と各々の名言が記され、下部にはローマ数字で生年年、没年(ぼつねん)が記されています。
この二人が時間と空間を超(こ)えたふたりの対話が、神秘的(しんぴてき)な雰囲気をもって蘇(よみがえ)ってきます。そして、研究学園都市の森の里に住む現代人に異なる意見をも尊重し、対話することの重要性を語りかけているようです。
製作者は、佐賀県出身、壁画(へきが)家の古川清右氏(ふるかわせいすけ・製作時52才、春陽会会員)で、モザイクの素材はポルトガル、メキシコ、中国など10カ国からの天然大理石を用いて造られてものです。
(参考:「複合都市の先駆け」森の里特定土地区画整理事業誌「季刊誌「森の里21」住宅都市整備公団発刊)
三浦梅園(みうらばいえん)(1723―1789)
日本の江戸時代の医者、思想家、自然科学者で、豊後の国(今の大分県)の出身。
「反観合一」(はんかんごういつ)
哲学や思想の概念で、対立するものが最終的には一つに統合されるという考え方です。
例えば、善と悪、光と闇、陰と陽など、相反するものが実は相互に依存し、補完し合っているということを示しています。
この考え方は、東洋哲学や禅の教えに多く見られ、簡単に言うと、反観合一は「対立するものが実は一つの全体の一部であり、互いに補完し合っている」という考え方です。
ガリレオ・ガリレイ(1564―1642)
17世紀に活躍した物理学者・天文学者です。「科学」という概念を体系化。「地動説」や太陽の黒点を発見するなどの功績から「近代科学の父」とも呼ばれています。
「地動説」(ちどうせつ)
ガリレオは地動説を主張し始めたころ、宇宙に対する見方として二つの立場がありました。
「地動説」「天動説」で、「地動説」とは、宇宙の中心は太陽であり、地球はほかの惑星とともに太陽の周りを自転しながら公転しているという学説のこと。一方、「天動説」 簡単に言えば、神がつくった地球が宇宙の中心であり、すべての星は地球を中心に回っているという考え方でした。ヨーロッパで力を持っていたキリスト教会は、天動説の立場をとっていました。
ガリレオガリレイ(出典Wikipediaより)
三浦梅園(出典Wikipediaより)
① スーパー三和前の歩道橋に掲げられているモザイク画をご存じですか?
私たちが住んでいる森の里は、昭和45年ごろから団地造成(ぞうせい)の計画が持ち上がり、昭和54年に厚木市都市計画事業として工事が始められたものです。
開発に当たっては、豊かな森を守るために緑の環境(かんきょう)を60%以上残し、公害のない研究所や大学・高校などを誘致(ゆうち)し、研究学園都市を造るということで計画されました。
この研究学園都市としてふさわしく、いつまでも語り継(つ)がれるような、モザイク画(縦 157㎝、横 172㎝)が開発した住宅都市整備(せいび)公団(こうだん)の手で備え付けてくれたものです。
三和入口前の歩道橋の壁に埋め込まれた三浦梅園、ガリレオのモザイク画
三和入口前の歩道橋の壁に埋め込まれた星座のモザイク画とガリレオ関連のレリーフ
天球儀、猟犬座、おおくま座 (a)
こぐま座 (b)、ペルセウス座、おひつじ座
うみへび座、へび座、みなみのうお座
ケンタウルス座、いるか座、六分儀座
では、なぜ公団は「三浦梅園とガリレオ・ガリレイ」との対話の様子をモザイク画として森の里に掲げてくれたのでしょうか。皆さんもこのモザイク画と対話して考えてみませんか。
このモザイク画の説明は、次回にいたします。
(参考:「複合都市の先駆け」森の里特定土地区画整理事業誌)
M0501030